2024/10/06 09:46

クロヌマタカトシの考える「現象」とは、秩序にみる詩情のようなものだろうか。
目の前の存在としてあるのは彼の彫刻作品だけだが、たしかにそこに境界を感じることができる。
手前に私という存在があり、向こうに昨日の記憶がみえる。その記憶は、いつかしか友人の歌の情景へと変わっていく。
今という秩序の中を生きる私と記憶の旅をする私。
彼の作品を介して私は、彫刻と同じ境界に立つことができる。
しかし、その境界を認識できると、その時間は終わってしまう。残念ながら同じ場所には辿りつけないが、また同じように境界に立とうとしてみる。
過去の境界と今の境界に差分が生まれ、その差分から「私」の存在を感じ取ることができる。
それが出来るのは、やはり彼の作品が強烈に美しいからであろう。その根源には哀しさがあり、今を生きることができる喜びがある。
彼と握手を交わしたことがある人なら分かるが、彼の手は驚くほど柔らかい。
その柔らかさが、哀しさを乗り越えて、見るものを美しい情景へと誘っている。
彼が感じる「現象」とは、これからどのように変化していくだろうか。
その終わりがくるまで楽しみは続いていくだろう。
*2024年10月1日記。2025年1月から岡山県・奈義町現代美術館で行われる「クロヌマタカトシ展」の制作日誌として
文=鈴木孝尚(16 Design Institute)