2024/07/14 22:31
運命は、分岐しても帰結する。
伏線は張られ、回収される。
その繰り返しが人生なら、一コマ一コマに必ず意味がある。
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絵を描くことは、奥手な子どもだった自分にとって、コミュニケーションツールでもあった。
絵を描いていれば、周りに人が集まり、喜んでもらえて、誇らしい気持ちにもなれた。
通っていた小学校では、図書室が主催する「しおりコンクール」という、栞のかたちにあわせて絵を描き応募し、生徒が投票して上位を決める催しがあった。受賞作は実際に栞として印刷され、全校に配布された。上級生をよそに、僕は何度か上位を飾った。自分は絵が上手いと思っていた。
高学年になると、突然、絵の上手い同級生が現れた。比べると、自分の絵がものすごく拙く見えてきて、劣等感を抱いた。人前で絵を描くことが恥ずかしくなり、気持ちも冷めてしまった。そのうちに中学校へ進学し、「男子は運動部に入部するもの」という空気感もあり、美術部の存在を気にはしつつも、親しかった近所の先輩の誘いでサッカー部に入った。サッカーには、3年間を通してあまり熱中できなかった。
高校に進学して、しばらく経ったあるとき、小学校の(挫折感を味わった同級生とは別の)同級生からメールが届いた。
「今でも絵を描いてる?」
今はまったく描いてない。そうした返事をすると、小学生の頃から絵を描いていて実は漫画家を目指している。でも当時は僕の存在があったから、皆の前では描いていないし、漫画家を目指しているとも言えなかった。そういった内容の返しがあった。
その日から、たまにメールのやりとりをするようになり、僕はまた絵を描き始めた。
大学1年生の夏、その同級生の誘いで、とある週刊誌の増刊号に掲載する、読み切り漫画のアシスタントに、短期バイトで就いた。講義を終え、仕事場へ向かい、深夜まで描いた。現場でノウハウを吸収し、アシスタント期間を終えてからは、さらに実践的に漫画に取り組んだ。
今思えば、10代特有の熱のようなものだったのかもしれない。けれど、絵を描いていると文字通り寝食を忘れ、いつまでも机に噛りついていられた。
周りが就活ムードになっても、身が入らず、会社に勤めること自体想像がつかなかった。漫画家になれたらなあ、という漠然とした気持ちを抱えながら、ぼんやりとした日々が続く中、バイト先の書店でふと開いた雑誌の「新卒募集」「書類形式、及び自己PR形式自由」の文字が目に留まった。
就活にかこつけて漫画が描ける。
至極安直な思いで、1週間で読み切り漫画を仕上げ、投函した。翌春、僕はその会社への就職を機に上京し、高校時代に連絡をくれた同級生は、数年後、漫画家としてデビューすることになる。
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どうして当時、好きな分野で一番でなければいけないと思い込んでいたのだろう。
どうして人と比べることで、好きという気持ちに蓋をしてしまったのだろう。
最近、4歳の娘が「絵を描く人になることが夢」と言っていることを、幼稚園の先生伝いに知った。この芽を、どういう環境で育んでいこう。

文・写真=武山直生(ショップ武山)