2024/05/14 09:09
春が、瞬く間に眠りについてしまった。春の夜は確かに眠りが心地良いけれど、春そのものが眠ってしまっては元も子もない。夏が瞼を擦り始めているような空気を感じて、やや辟易してしまう。
少し蒸してきたせいか寝汗をかくようになったので、いそいそと衣替えをしていると、祖父から貰った夏物のシャツやスラックスが出てきた。私は若い頃の祖父と体格や背格好がよく似ているらしく、近頃は着ないから、とよく洋服をもらっていた。
硝子店を営んでいた祖父は、還暦を過ぎてからも漁船に乗って釣りに出かけ、釣った魚を私たちに振る舞ってくれるような快活な人だった。腕相撲を挑んでも連戦連敗で、勝ち誇るように披露された力こぶには、若い頃仕事で作った傷の痕があって、私がちょっと太って帰省すると、ちゃんと「あれ?ちょっと太ったな」と言ってくる、漫画のキャラクターのような磊落とした性格の持ち主で、私はそれが好きで密かに憧れていた。
祖父がよく利用していた漁船は愛知県の日間賀島から出ていた。島には民宿を経営している親戚がいて、夏が来ると親族一同でそこに泊まるのが恒例行事になっていた。
あの頃こういうことがあって、という話をしばしば親や祖父母から聞かされていたが、物心ついていない頃の話というのは妙に気恥ずかしく感じる。こちらが覚えていないのを良いことに、有る事無い事言ってないか?と疑ってしまう節が残念ながら私にはあるが、それでも楽しい思い出として胸の内に残っていた。
あれから20年以上経ち、私たち家族と私の両親、妻の両親と姉とで、日間賀島に行くことになった。せっかくなので、あの頃利用していた民宿に泊まることにした。
フェリーで到着してから民宿に行くまで、迷わずに行けると確信していたが、それなりに迷ってしまい、あっけなくGoogleマップに声をかけた。ノスタルジーには日頃の方向音痴を忘れさせる効果があるらしい。
民宿に到着して、部屋でゆっくりしたり、風呂に入ったりしていると、昔を思い出して懐かしく思うところもあったが、それ以上に、あの頃と違った家族のかたちでここに来られたことがたまらなく嬉しかった。
見たことないくらい大笑いする父と、呆れるように笑う母の姿がとても新鮮だった。妻の両親と姉もとても楽しそうで、数年前までは想像もできなかった健やかな風景に思わずたじろいでしまった。漫画のような祖父に憧れた私だったが、こんなにも身近なところに現実離れした風景があった。
これからぽつぽつと年をとり、少し先の未来では、また違った家族のかたちがあるのだろうか。
無いなら無いで構わないけど、でもあったら良いよね、と思う。
文・写真=早川哲矢(会社員)